エッセイ87-Essay87-2001.03

授業風景
の三月末で大学生になって満三年が過ぎる。昨年夏に教養課程の必修四十八単位を取り終え以後専門科目に取り組んでいる。
 振り返ると、改めて通信での学習は容易ならんものだと思う。誰も始業のベルを鳴らしてくれないし、「授業を始めます。」との声も掛けてくれない。
 「さー開始だ。」いつも自己命令で教科書を開き、また次々参考文献にあたり課題に応える四千文字のレポートを成し提出する。その後札幌、旭川などで行われる科目試験をうけ、レポートとテストの両方に合格することによって取得単位を積み重ねる。

 月末から、暑さのまっただ中、出入りを含めてほぼ二十日間にわたるスクーリングが本校で行われる。仕事を休み、数十万円の費用をかけ受講しても、テストの成績が悪いと遠慮なく落される。「私は毎年受講生の四割は落しています。」自慢げに語る教授。慶應大学通信部の卒業者は百人中三人だというが、本当にそうだ、と実感する。
 れまでに三十科目程の学習をしたが、バイオテクノロジー等現代の最先端の学問分野もあって興味を引かれる。私の場合、商売柄、自分が勉強したものをすぐ生徒達への授業に生かして使えるので一石二鳥という側面もある。それが還暦を過ぎても尚、根気よく自学自習を続行できる最大の理由かもしれない。生徒への講義内容が一層濃いものになったと自画自賛している。

 上のごとく生徒と先生の二足のワラジを履いている訳だが、いま最大の気がかり、それは頻発する十七、八歳の若者による凶悪な犯罪である。しかも、成績が良くまじめ、といわれる生徒が突発的に恐ろしいことをなす。
 如何にして、親や近隣者に凶器をもって向かうようなストレスを蓄積させないか、また折角学んだ学問を仇(あだ)にさせないか。今日も、こんなことを考えながら自ら学び、子供達にも「学ぶ心」を熱く語っているのである。