エッセイ61-Essay61- 1997.12

<眠れる森にて>

 十一月中旬までに、カラ松の葉もほとんどおちた。彼らが紅葉のさいごのものだった。よわよわしい日差しが透明な森を包んでいる。風が我が物顔に駆け抜けると、足下のササ藪が応えるばかりで、あの夏の日のさざめきはない。

 蚊、ハチ、アブ、うるさくまとわりついてきた森の分身達の姿もとっくに消えて、遊歩道にいても気ずかいはいらない。しかし……。そう、心はうれしくないのだ。遠くまで見通せる森には、不気味さも威圧感もない。ただあっけらかんとしているばかりだ。

 「そーかー。森特有の雰囲気を作っているのは、鬱蒼と茂る葉、そこに隠れながら営まれるさまざまな生き物たちの生命活動そのものだったのだ。」

 そんなことをつぶやきながら、私は上質な絨毯の敷き詰められた小径を踏みしめている。

 三月の終わりころ、屋根に積もった大量の雪が軒を支えるたる木を四本も折った。補修をするにはトタンをめくらなけらばならない。おお事なので、間に合わせにカラ松の焼き丸太二本を使って、下からささえてしのぐことにした。なにしろ北側の屋根は構造が悪くて、一度積もると春になるまで自然落下しないのだ。春には見るだに恐ろしい分厚い雪が、軒にぶらさがる。なんとかこの仕掛けで次の冬をしのぐことができればいいのだが。

 ことしの初冬は、今話題の地球温暖化の影響だろうか、何回か降った雪もすぐ融けて、十二月中旬を迎えても、遊歩道を歩くことができる。樹木達が熟睡しているので私は息をころすようにして歩をはこぶ。

 夏に完成したログハウスは、雪にそなえてポーチをシートで覆ったので出入りはできない。窓から中をのぞき込み周りをうろつく。来春から大学に入る予定だが、ここを勉強部屋として使うつもりなのだ。雪が融けたらすぐ、小さな机と本箱と茶道具を入れよう。

 私が敬愛してやまないドイツの思想家、ハイデガーは森を逍遙しながら、あの大思想をうちたてた。それにあやかって、西洋哲学史を学ぼうとする私も、この森にいて、地と天と私のかかわりを思考にかけてみたい。

 なにか嬉しい我が人生だ、と実感できるところまで歩みきた。それはこれまでに出会った多くの輩(ともがら)とこの森のおかげに他ならない。これから行く道は、日々の生きざまそのものが、命の連鎖である人々や自然のもろもろにとって、喜びを届け得るものでありたい、と切に思うのだ。

 森が冷え込んできた。明日は雪になるかもしれないなー。



ご意見・ご感想をお寄せください。
mail :
ny-kaba@js2.so-net.ne.jpメール