エッセイ70-Essay70- 1998.10

<森に雪虫が>

  今年は、ここ数年のうちでは、森にいく回数がかなり少なかった。さまざま理由はあるが、大学生になったことがその最大のものだろう。自学自習が唯一の勉強方であるので、これまでなら森を逍遙していた筈の時間が、かなり図書館での勉強に置き換えられている。

そんなことで入学後、半年ながらすでに14単位を取得した。なかなか順調ではある。

 10月に入りようやく天候も安定し、すっきり晴れた、いかにも北国らしい日和が続くようになった。先日、久々に心地よく降る光の粒子に誘われ、ゆっくりと草を踏んだ。9月は雨が多く気温が高かったせいで、様々なキノコが道沿いに並び目を楽しませてくれた。 川沿いに出て見下ろすと、数え切れないほどのサケが、さかんに産卵のための場所を作っていた。石がゴロゴロあって流れのきついところが産卵に適しているのだ。だから川底をたたき堀を作る体はぼろぼろになっていく。生きながらに腐敗がすすむ。刻々迫る死の面前で次の世代を生み降ろす。こういう姿を眺めることはなんとも切ないが、また反面嬉しい。水かさなどの影響で、ほとんど魚影をみることのない年もあるが、そういうときは心底寂しいものだから。

ここ2年、春から秋までびっしり草花の写真を撮ってきたが、今年は、天候のせいで

花の時期が変にずれ込み、タイミングがあわず、デジタルカメラではそこそこ花もとらえたが1眼レフはほとんど使わずじまいだった。そういう点でも天候同様、私の森との関わりにも異変が起こっていた。

 朝晩、結構冷え込むようになったが、日中はほかほかと暖かい。それなのに、もう森には雪虫が飛んでいた。きっとここ数日のうちに、急激な冷え込みがあるのだろう。彼らの観測に狂いはない。十分信頼できる気象観測技術を持っているのだ。あの頼りなげな、ちっぽけな虫ではあるが。

 街は海辺にあるせいで、まだ身近なところでは紅葉は目を引くほどにすすんでいないが、山深いところでは発色が目立ち始めた。しかし思うように山に入ることができないのだ。9月下旬、このあたりでは珍しく、生の台風がやってきて、至る所で道路を寸断してしまっているからだ。私が紅葉を愛で歩くのは、滅多に人の入らない林道ばかりなので、なかなか修復して貰えない。日に日に色彩が鮮やかになっていくのを、遠くからじりじりしながら眺めているばかりである。今年は見逃すことになるのだろうか。いや、それはいけない。対策を考えるとしよう。

 去年の夏に建てたログハウスは、小型の、みるから華奢なものだが、あの恐ろしいばかりの豪雨にも耐えて、しずく一つ室内には漏らしていなかった。木組みの隙間から、外が見えているので、てっきり水が侵入したと思いこんでいた。嵐のあとおそるおそる戸を開けてみたが、窓の閉まり具合も問題なく、室内は何事もおきてはいなかったのだ。木のしなやかさは大したものだと、あらためて感じ入った。

 これから数年間は、それなりにストレスの溜まる日々となるだろう。森との付き合いの中で、それらを解消しながら歩もうと思う。これまでとは違った、森との関わり方を探ってみよう。また新しい発見があるに違いない。森の外観は変わらないが、私の接し方や、感性の磨き方によって、さらに深いものが見えて来るにちがいない。そんな予感が心のうちにある。楽しみの道になりそうだ。

 



ご意見・ご感想をお寄せください。
mail :
ny-kaba@js2.so-net.ne.jpメール