私が、夜の散歩をするようになったのはいつからだろう。息子や娘が小学校に入った頃、一緒に歩いていた記憶があるから、昭和40年代後半には、すでに歩き始めていたかもしれない。夜、9時とか10時、あるいは11時頃に、ふっと家を出て気の向くままに、あの道この道、2キロくらいを歩き続けてきた。汗のしたたる夏の夜、きんきんしばれあがる冬の夜も。星々やいろいろな形の月が足もとにいてお供をしてくれた。
そして今宵も、そぼふる小雨の中、孫と30分ほど歩いていた。彼女は間もなく6歳になる。
「ジーちゃんは、ママのお父さんでしょ。」
「うん、そうだよ。」
「そしてバーちゃんは、ママのお母さんなんでしょ。」
「うん、そうだよ。」
「ママが子供の時にも、ジーちゃんと一緒に夜のお散歩してたの。」
「うん、そうだよ。」
口の達者な孫は、次々質問の矢を浴びせてくる。私は同じ返事を繰り返す。
「我が人生、随分時間がたったものだなー。」
大きな悩みを抱え、夜風にため息を含ませながら歩いた日もあった。痛む足を引きずり、懸命に歩いた日もあった。石につまずきよろめいた瞬間に、胸に悟りが訪れた日もあった。思いもよらない幸運の到来に、全身を光らせ、スキップで夜道を踊り歩いた日もあった。
歩み来た道、星明かりのなかでいくつもの決断が下された。その一つ一つが私の人生を編み上げてきた。散歩の途上は、まさに私の人生そのものであったと、しみじみ思う。
「ジーちゃん、学校の花子さんって、本当にいるかなー。」
「うん、いるよ。きっと。」
「ジーちゃんは花子さんに会ったことあるの。」
「ないよ。みっちゃんは会いたいかい。」
「いやだー。なんか、こわいよ。」
この孫が大人になったとき、自分の子供と夜道を歩くこともあるだろう。
そのさい、私と歩いたこの時を、懐かしく思い出すかもしれない。
これから彼女と歩く折りには、闇に包まれたこの穏やかな時間を借りて、私が経験してきたいろいろなことを伝えていこうと思う。
夜風が身にしむ時節になった。明日からはジャンバーを羽織って出るとしよう。