エッセイ50-Essay50- 1997.07
リンゴの花

 リンゴの花がさいた。蕾は赤にちかいピンクだが、開くと、恥じらう乙女のようにほんのり赤みがさしているばかりだ。

 私は待っていた。そう、十五年もの間。

 子供や孫の楽しみにと、一メートルたらずの苗木を植えた。二、三年後、野ネズミの大発生があって、共に植えた桃、栗、水蜜、梅などはことごとくやられた。リンゴも枯れそうになったが、かろうじて生きのびた。しかし数年間はその後遺症で育ちが悪かった。

 ここ三、四年は毛虫に痛めつけられた。若葉が食いあらされ、再度瀕死の状態に追いこまれた。はじめ、これも自然か、私はだまって見つめていたが、ある日、ネズミの食害から立ち直ったその生命力がいとおしくなり、殺虫剤をもって手助けをした。二本あるうち一本は、二つに分かれてのびていた片方の幹が、今年ついに芽を吹かなかった。先日、やむなく切り落した。

 自然とは大きな目で見るなら、まことに平等だと思う。

 昨年五月中旬、季節はずれの大雪があり、一週間ほど極端な低温がつづいた。

そのため孵ったばかりの虫たちは、しばれあがり壊滅状態となった。

その結果、最初に芽吹いた葉が、虫食いにならないまま紅葉するという、滅多にない現象がみられた。おかげで今年も虫はいない。いま六月の空のもと、健康な葉が、日毎に深まる緑のなかで輝きわたっている。人間にとって、去年は不作で、困った年であったが、樹木たちには二年続きのストレスの少ない時が恵まれた。

 「おい、リンゴくん、そろそろ花を付けてもいい頃ではないのか。」今年、新芽が顔をのぞかせたとき、私は幹をなでながら話しかけた。

 五月下旬のある日、散策の途中、立ち止まって木をながめていた。

 あった。下の方の枝に、頭が赤い小さな膨らみが数個。

 「リンゴーの花びーらがー、かーぜーに散いいったよなー……」思わず唄いだしてしまった。花びらが風に散るのはまだまだ先のことであったけれど。

 この木の十五年間の思い出を語り、共に喜び合う相手がいなかった。浮かれた私は、不覚にも、津軽娘を泣かすようなこともなく過ぎたわが人生を、少し残念に思ってしまったのである。


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