Forest of OKHOTSK
エッセイ20-Essay20-   18.07.1996

<命輝く>


  ふと気ずくと、遊歩道に射し込む光の量が少なくなっていた。つい先日芽吹いた新芽が、みるみる育ってすでに木陰を作り始めているのだった。
 やわらかな木漏れ日の中、ゆっくり歩を運びながら頭上の梢を見渡すと、色とりどりに小鳥達の歌が飛び交い、穏やかな風に応える木の葉の舞。
 足もとには、白、紫、黄色に小型の野の花が咲き競い、ほほえみをもって語りかけてくる。
 その色香に誘われ虫たちも忙しげに立ち働き、ひそやかに、そしてにぎにぎしく命達の交歓の輪が繰り広げられている。
 私は胸一杯に森の香を吸い込み、自分もまた森の中にとけ込んでいることを実感する。
 緑に霞む風の中で、ふと来し方を振り向くことがある。幼時、満州で戦乱に翻弄され、引き揚げてからは病魔にさいなまれ、闇の中、光を求めてさまよい歩いてきた。
 かろうじて命を繋ぎ、ようようこの森の道にたたずむ日を迎えるまでの50年余。
 よくぞここまで歩みこれたものだと、改めて感慨にふけるのである。人の通る道はなんと苦難に満ちていることかとしみじみ思う。
 しかし私は森の細道で、ついに癒しを受けたのだった。様々な場面で作られた心のしこりも氷解した。深く刻まれた傷もほとんで痕を残さずに快癒した。
 森は健康回復の場であることはすでによく知られているが、それは身体のみならず、精神にまで及ぶ。
 森の生き物達も、厳しく生存のためのせめぎ合いを演じる。しかし彼らは生きることにも死することにもいさぎよい。その生き方は常に前向きである。
 しかも己に拘泥しない。文句を言わずに黙々と今なすべきことに精を出す。自然がそれとしてある摂理のなかで、巧みに工夫をこらし命の輪から決してはみ出すことはない。
 私は彼らから多くを教わった。そして彼らの生き様は、神仏の心を体現しているのだとつくずく思う。
 これからの我が道は、彼らから習ったことを、この難しい人間の社会で実践し顕していくことにある。
 お互い人に対し無礼で無遠慮で得て勝手な振る舞いが横行するわれら人間社会において。
 勿論私もその無礼者の一人であることは言を待たない。
 そして森(自然)と人間社会を行き来しながら、人間のなかにひそやかに手渡されている、大いなる可能性をさがし掘り起こしていきたい。
緑の微風の中を、私はそのようなことに思いを巡らせながら歩いている。


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