< シマララギ>
ここ数日、雷がとどろき、雨続きである。それでも私の森通いはやまない。さすが草花の撮影はできないが、散策路や笹のなかをキョロキョロ、なにか珍しいものはないかと、油断なく気配りをしている。
これまでにこの森からずいぶん多くの作品が飛び立った。それらを通して、森はみんなによく知られるようになった。
一度訪れてみたいという希望があちこちから寄せられている。そこで今日はこの森の特質を語ろうと思う。
森はアイヌの人々がシマララギと名ずけた場所にある。その意味は、光り輝くところ、というのだ。
本州が梅雨に入る頃、オホーツクの地は冷たい海霧におおわれる。寒流を吹き渡ってくる風は冷え切っており、その期間が長いとこの一帯は冷害に泣かされる。
いつも不思議に思うのは、家を出る際、街が深い霧におおわれていても、森に近ずくに従い、空が晴れ上がり、森のあたりはポカポカ暖かいということである。
海からは直線にして5キロほどしか山に入っていないのだが、気温の違いはずいぶんおおきい。そして遠くから森のあたりを眺めると、そこはまさしく、シマララギ、輝いているのだ。
先日も、夕方5時半ころ、帰路に就いた。森から1キロも下らないうちに空は霧に霞んでいた。あたりの山々にも稜線にそって霧が走っていた。
しかし我が森のふきんだけはぽっかり開けられた空き地となっており、茜色に輝いているのであった。
思わず車を止めてしばしそれを眺めていた。この時私は、シマララギ、という言葉の意味をあらためて感動のうちに実感した。
小鳥や草花、樹木や山菜に満ちあふれ、川には季節に応じて大小さまざまな魚が姿を見せる。
みんなこの光を求めてそこに集まり暮らしているのだ。私も当然その一員である。
私は思う。この豊かな光を精神の奥深くに取り込み、内から光りを発する人格を創り上げようと。そして、ここを訪れる人々に、山の幸、森の幸、人の幸を差し上げようと。