Forest of OKHOTSK
エッセイ22-Essay22-   18.07.1996

<樹液余話>


 早くも六月のなかば、私の森通いはつづく。春の草花がおわり、夏の花に代わろうとしている。
 夏草の特徴は草丈が高いということである。
 私はあちこち草むらをのぞき込みながら、どこにどんな種類が育っているか確認中である。小さなつぼみを見つけ、やがて花咲かせる日を想像し胸をおどらせている。
 今日の観察中、足もとにヘビをみつけ、思わずすっとんきょうな声を発してたじろいだ。前回、ヘビと出会ったら、ポーズをつけさせ写真を撮ろう、などと調子の良いこといっていたが、さすが突如の出会いではその余裕すらなく、おもわず逃げだした。
 だがこれまでと違っていたのは、家からカメラを持ち出し追いかけたこと。2メートルほどに近寄って、はい、ポーズ。一枚パチリとやることができた。
 これはカメラマン魂。「そんなことできっこないさ。」とひやかした息子に証拠を見せて、自慢話が出来そうだ。物置の縁の下に逃げ込んだから、今後ときどき出くわすことがあるに違いない。
 いつかは、むんずと捕まえられるようになりたい。そんなことできるのか。やってやる。
 つい先日、ふと思いついたことがある。足が痛くてほとんど森へ行けなかった二年間をのぞいて、ここ十数年、かならず花粉症にやられていた。目のかゆさ、鼻みずのうっとおしさ、なんともつらい日が二週間くらいは続く。
 目薬、鼻薬を持ち歩き頻繁に洗浄しなければならない。ところが、ところがである。
 今年はまったくその気配がないのだ。雪も融けきらないうちから、森に出かけ、猛烈に花粉飛び交う森の風を腹一杯すいこんでいたのだから、体の中は花粉がたっぷり蓄積されたはずなのに。これはどうしたことだろう。
 私は確信している。今年は白樺樹液を大量に飲んだので、それが効いて花粉症にならないのだと。
 科学的根拠は、と問われそうだが、そんなものはない。現在、社会問題となっている薬害の報道を見るにつけ、科学的根拠など、あまりありがたがる理由はない。
 科学者がどこから給料を貰っているかによって、白が黒になることもあるのだ。漢方薬だって、現代科学で効能を証明できないものはたくさんあるが、人々は何千年も使い続けている。
 事実がなによりの証拠だ。来年も樹液をいっぱい飲んで、その説の裏付けをしようと、今からたのしみにしている。
 今年は虫の被害が少ないようだ。柳、ハン、白樺、どの樹をみても葉がほとんど虫食いになっていない。
 樹木たちは久々にストレスがすくないだろう。ところが反対に鳥達にとっては食料がたりなくて、子育てが厳しいにちがいない。そのせいか深い山奥で暮らすのが習いとなっている鳥が、人里ちかくに姿をみせている。
 おかげで、私の鳥観察日記には、これまで記録がない新顔が、たくさん書きこまれた。明日はまた、どのような出会いがあるのだろうか。


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