Forest of OKHOTSK
エッセイ30-Essay30-   22.10.1996

<藻別川、健康回復>


 私が藻別川と関わりを持つようになってからもう二十二年にもなる。はじめて現在の我が森に足を踏み入れたのは昭和四十九年秋のこと。
 鴻ノ舞金山が閉鎖されてから数年すぎていて、水中に生き物がぼつぼつ戻り始めたろであった。
 金山の盛んだった時、川は常に濁ったような色で、魚をはじめ水中には生物の姿はまったく見えなかった、と土地の人は語る。
 川ガニとか白く透き通った小型のエビ、川カジカ、アカハラ、ヤツメウナギ、ドジョウなどが橋からのぞきこんだり、水の中を歩き回る私を楽しませてくれた。その年から私の改めて意図した訳ではないが、川の観察が始まった。
 この川は長さ百キロも無いのではないだろうか。蛇行しているから以外と長いものだとしても。本当はカヌーか何かで上流から河口まで下ってみればこの川に関して様々おもしろい発見があるだろうし、本格的な藻別川物語も書けるかもしれないが、現在の私の体調ではそれは不可能である。
 よってここでなされる報告は、山荘横での定点観測にもとずいた極めて不十分なものであることを、あらかじめお断りしておきたい。
 川の水かさによる判断では、三月後半から始まる野山の雪融けは、二段階におこなわれる。年によって時期のずれはあるが、まず平地の雪が四月中旬までに大半消える。その際、大量の濁流がドドドッとすざましい音と共に逆巻きながら海を目指して駆けくだっていく。
 ピーク時を過ぎると、日に日に水かさは減り、濁りもうすれ澄んだ緩やかな流れにかわる。それが数日続き、やがて四月の終わり頃、気温が一段と上がり,あたりはすっかり春めいてくる。若草が前年の枯れ草色を隠し始める時期、今度は山の高いところに積もっていた雪が一気に融けだす。
 川は再度恐ろしい形相を見せ、夏の頃にはヒザ位しか深さの無いところが、二メートルを超えるほどの水量をはきだすのだ。そして五月の連休が終わる頃、川は生きものを迎える準備完了。
 海から、人々がアカハラと呼ぶウグイが産卵のために遡上してくる。それを追うようにヤツメウナギ、少し遅れてニジマス、桜マスなどが姿をみせる。
 その後はとんでもない大雨でも降らない限り、秋までおおむね穏やかな表情で命を養い、人々の憩いの場所として川はある。
 今年、その二度にわたる雪融け時の川の表情が、私がこれまで見てきたものとはどこかちがっていた。水量がピークを迎えてもその後、水は急速に減ることはなく、例年より随分遅いペースでことはすすんだ。私は心のうちで、「なんかいつもとちがうな。」とつぶやいていた。
 八月後半、台風や前線の活動により二度、一昼夜雨が降り続いた。私はこの時期の大雨を歓迎する。なぜならマスが上流にまで登ってくるからである。いつも雨が止むのを待ちかねて、川の観察にでかける。でも今年の川の様子はやはりちがうのだ。その一つは、水量が通常より増えているのに、濁りがすくない。
うっすらと川底の石が見えるのだ。しかも私の予想ではもっともっと水かさがあるはずなのに、以外とすくない。
「やはり例年とはちがうな。」私は再度そう思った。河口と私の森との中間点に何の目的で作ったのかは判らないが一メートル半ほどの堰(せき)があって、大量の水がないとサケやマスはそこで止まり、産卵をはじめる。
今年もその堰から下にはたくさんのカラフトマスが来ているが、上流にはまだきていない。これはどうしたことだろう。
 藻別川流域は健康を取り戻しつつあるのだ。私は、そう確信している。金山跡の廃墟は森の中に埋もれ、離農跡地も柳、白樺、ハンなどの成長の早い樹木が森を作り始めたので、大雨があっても緑のダムとなって水を抱え込んでしまう。
だから降水量の割には川の水が少ないのだ。それがこの春以来顕著になってきたのだと思う。
 サケ、マスの到来が遅れているのは残念だが、川が健康になってきていることは嬉しい。
しかし、結局過疎化が一層すすんだから川が健康を回復したともいえる。この両面から見るとやや複雑な想いにも駆られるが、これも時代の趨勢か。とにかく今は川の健康を祝福しよう。
 私のこの観察に異を唱える方があれば、この次大雨が降った後、渚滑川と藻別川の河口付近の海の色を見比べてほしい。きっと私の説にうなずいていただけるであろう。



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