Forest of OKHOTSK
エッセイ31-Essay31-   01.11.1996

<紅葉、黄葉……祭り>


カリッ、カシャ、カリッ、カシャ。杖の音と、踏まれる落ち葉の音が静かな森にリズムをきざむ。
 私は雪が融けきらないうちから散策路を歩いていたが、いつの間にか時は移り、もう晩秋をむかえてしまった。
 九月末に、アキノキリンソウを撮って以来、棚に置きざりにされていたカメラを再度持ち出しての森がよいである。
 道には、ナラ、イタヤ、白樺等の、赤、茶、黄色の落ち葉が敷き詰められ、錦の絨毯の上をゆくような気分だ。私はまさに、森の貴人(奇人?)。
 今年はとりわけ紅、黄葉が美しかった。十月に入ってから、朝夕めっきり冷え込むようになったが、日中は、ほこほこ暖かい日が続いた。その上、激しい雨、風に見舞われることも無くすぎた。
 自然はその穏やかな日和と寒暖の差を筆に、山肌の森をキャンバスとして、麗しい錦絵を描き上げた。
 十月十日から今日二十一日までの十二日間、私は紅葉を追ってあの峠、この峠と走りまわっているうち、心の中まで、赤く黄色く染められた。
 五十枚もの我が傑作が、花アルバムの最後のページに彩りを添えた。燃えさかる炎の如く、透明に赤い山モミジの前で、思わず上げた私の感嘆の声が聞こえたろうか。

 紅葉はやはり明るい光の中で見るのがいちばんだ。今日は朝から穏やかな日和だったので、下界での用事を済ますや、私は心弾ませ森を目指した。山道にさし掛かったとき、澄んだ大空からは申し分のない光が降り注いでいた。
 しかし心に描いた光景はもはや消え失せていた。そこには色相はさまざま入り交じっているが、昨日までの輝きはすでになく、くすんだ眺めだけが拡がっていた。
 「あー、今年の紅葉は、もうおわったのだ。」
 気落ちした心のなかでふと考えた。紅葉とは、単に枯れ葉の色ではなかったのだ。今、目の前にしているこの冴えない色こそが枯れ葉色。きのうまでの、私を魅了したキラキラ輝いていた紅、黄葉は、実は盛大な祭りであり、またその晴れ着であったのだ。いったい何の祭りが行われていたのだろうか。
 春紅葉と呼ばれ、秋に劣らず人を惹きつける初夏の芽吹き時は、歓喜の誕生祭。そしていま秋は、煌々(こうこう)と開かれた大空、降り注ぐ光と雨、空よぎる雲、森を吹き渡る風、春以来の命の営みに恩恵を与えてくれた大自然に対する、感謝祭にほかならない。

 樹木は緑したたる最盛期よりも、芽吹きや紅葉時のほうが遥かに大量の水をもとめる。
熱気あふれる祭りに、祝い水は欠かせない。それ故天空は、春雨前線、秋雨前線を日本の上空に呼び寄せて応えるのだ。
 森はすでに、通常の感覚では殆ど聞きとれないほどの、かすかな寝息をたてて眠りについた。もう間もなく北の空から冷え切った風が吹き込んでくるだろう。そして枝に残った晴れ着の名残をあたり一面にまき散らし、そっと雪の下にしまい込むだろう。
   私は一抹の寂しさを胸に,いつにも増してゆっくりと遊歩道を歩いた。この半年共に遊んだ仲間達に感謝の言葉をかけてまわった。
 そして「また来年もたのむな。」つぶやきながら、急速に冷え込んできた夕空を、透けた梢の向こうに仰ぎ見、豊かに過ごした森での日々を思いかえしていた。



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