<珍しい花々>
今年の天候は激しく上下するので,植物の生育はやや遅れ気味ではあるが,それでも季節のへんかを敏感に察知し反応を見せている。
ヤマオダマキも見つけてカメラにおさめた。はじめ人間によっていじられた,各家の庭先で見られるものが,何らかの理由で種が山奥まで運ばれたものかと思い,シャッターを切るのをためらった。
私の野の花アルバムにはすでに百枚をはるかに越える写真が貼られた。七月の中旬発行されるエッセー集「森の詩」にもカットとしてたくさんつかわれている。 これからもエッセー集を二年に一度くらいは出したいのだが,その際にも使える。あれこれ使い方を考えるだけでも楽しい。
友人達の多くは定年と言う言葉が,切実な意味をおびて迫ってきているようだ。彼らが行く末を見据え,身辺の整理を考えつつある時に,私は様々な分野に対し興味も関心も行動もますます広がりはじめた。
カメラをかついで山深く入り込み,視線鋭く草の中をみまわしている。これまで見落としていた,高山系の植物が次々名乗り出てくれ,私は風と鳥と虫の音だけの心地よい響きの中でシャッターを押し続けている。
最近,ヒグマの出没で人々が山に入ることにややためらいを感じているようだが,私はおかまいなし。とはいいながら,カメラを設置しながらたえずあたりの気配を伺いながらの作業である。
今,イソツツジが満開だ。これはふだん我々の間近ではみられない花であるが,私の秘密の花園では,道の左右の山肌のササに混じって幾万とも数知れず咲き誇っている。
あたかも緑の上に雪を振りかけたような眺めである。一センチほどの五弁の花びら,純白,やや長めの雄しべがたくさん立ち上がっている。
それが十数個,集まっているので少し離れてみるとピンポン玉のように見える。十日ほど前,一株私の森の庭に移植したものも,可憐な姿で咲き始めた。うまく根ずいて増えてくれればいいのだが。
そのイソツツジの足下で,草丈十センチ足らずのコケモモが咲いていた。これは頂上にピンクの釣り鐘のような花を数個つける。シャッターをきった後,数本を持ち帰った。
秋には赤い小さな実をつける。食べれるものなら食べてみようと思っている。
そしてその同じ場所でオオタカネバラをみつけた。はじめハマナスかと考えたが,山奥の峠、しかも頂上付近で,ハマナスとはおかしい。家に帰ってから図鑑をめくると,それは名前からいってもまさしく山のバラであったのだ。花の形は一重で,色は濃いピンク,ハマナスと殆ど同じだが葉の雰囲気がちがう。
今日,シャベルをもってそこへいき,二本を庭に移植した。蕾がいくつか付いているので,うまく咲いてくれることをきたいしている。
しかし調べた結果野生のものであることがわかり,昨日改めて撮影に出かけたのだ。
パソコン画像としても保存され,すでにオリジナル絵ハガキとして,各地の友へも届けられた。おおきなアルバムに納め直し、山小屋の本棚にも置きたいし、フォトCDにしていろいろな場面で利用するつもりだ。
死への覚悟はすでに出来ているつもりだが,生きている間は,人間に開かれている可能性を,可能なかぎり追いかけていきたいといつも思う。痛くても苦しくても辛くても,その出来事を通して密かに手渡される宝を受け取りたい。
その姿勢を仕上げる学校が森であり,そこで出会う様々な生き物達が先生である。教える者達が喜んでくれるような生徒でありたいと願っている。